無意識さんの部屋

大嶋信頼先生の本、ブログ、動画にて精進中。無意識さんから受け取ったメッセージを綴っていければと思います。

才能と幻想と無意識さん

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才能というものについて考えたんだね

 

それというのも、君はとてもお気に入りのアーティストがいるんだと

 

そして、友人から聞いた例の友人の子供も芸術家になったんだと

 

そして、そういった芸術家というものはどういうものなのかと

 

そういうこいとについて考えさせられることになったんだね

 

なぜなら、なぜだか彼らのことを考えていなければならないような、彼らに注目しなければいけないような、そんな感覚に陥ったからなんだね

 

そして僕は君に言ったんだね

 

彼らは人一倍自分の素晴らしさを認めて欲しい人なんだと

 

ただそれだけなんだと

 

だけど、君は彼らはすごいものをもっているじゃないかと思ったんだね

 

人より秀でている何かを持っているじゃないかと

 

確かに人とは違う何かをもっているのかもしれないね

 

だけどね、それが随分と人からかけ離れているからこそ、そんな自分を認めて欲しいんだと

 

それを人一倍強く持っているというわけなんだね

 

だけど君は、君のお気に入りのアーティストはファンのことを思ってくれていると

 

そんな風にも思うんだね

 

だけどね、彼らこそが支配に強く束縛されているんだと

 

そしてね、確かにファンを必要としているというわけなんだね

 

なぜなら、自分の中ではなく自分以外の存在に自分の価値を認めて欲しいと人一倍強く思っているのだから

 

自分一人ではとても満足など出来ない

 

自分以外の人に、ひとりでも多くの人に認めてもらうことを強く強く願っているのだから

 

もちろん、それが果たされた暁には、ファンと呼ばれる人たちに優しくすることもできるかもしれない

 

しかし、それは優しさと呼べるのかは分からない

 

なぜなら、一番美味しいところは彼ら自身が持って行ってしまって、ファンに届けられるのはその残りかすだから

 

そうは言っても、彼が作り出す音楽はすばらしくて、それを聴ける自分たちは幸せではないのだろうか

 

君はそんな風に思うんだけどね

 

だけどね、彼がそれを作り出している時の快感というのは、君たちが受け取る快感とは比べ物にならない程絶大なものなんだよね

 

だからね、やっぱりどこまで行っても、それは残りかすなんだよね

 

ぼくのそんな言葉を聞いた君は、とてもそんなことは信じられないと

 

そんなはずはないんだと

 

とてもショックを受けたんだね

 

もちろんね、君が気分がいいな、という程度に彼の曲を楽しむのはいいと思うんだよ

 

だけどね、君の体の健康を損ねる形で一喜一憂してしまうほどそれに振り回されるのはバカバカしいと思っているんだよね

 

なぜなら、やっぱり彼らはどこまでいっても自分のことが一番大事なんだよね

 

信じたくないかもしれないけれどね

 

それはまあ当たり前のことなんだけどね

 

ファンになるとね、ついそこを見たくなくなるんだよね

 

ファンを一番に考えてくれているはずだと

 

そう思いたくなるんだよね

 

なぜなら、自分たちは自分を犠牲にして彼のことを思っているわけだからね

 

そんな彼は実はファンではなく自分のことを最優先にしているとなったら、やっぱり平気ではいられないよね

 

そんなわけでね、アーティストや芸術家というのは自己顕示欲の塊で、承認欲求が凄まじいというわけなんだね

 

それは、やっぱり人と違っているという点で余計に強くなって彼らの特性として現れるというわけなんだね

 

ならば、もう彼の曲を聴くべきではなのかというとそういう訳ではないんだね

 

なぜならその作り出された曲というのはもはや彼の存在とは別のものだからなんだね

 

そして、君がそれを素晴らしいと感じる時、それはきっとそこに無意識的なものを感じているというわけなんだね

 

だからね、それを排除してしまうということではないんだね

 

つまりは全ては君を中心にしてほしいというわけなんだね

 

音楽というのは無理やり聞かされるものではないんだね

 

まあ、絵画も同じだと思うけどね

 

芸術というと高尚なものに思えて、見させてもらってるという感じになるかもしれないけれど

 

見たくない聴きたくないものを見たり聴いたりしても何も楽しくないよね

 

だからね、いくら君が気に入っているアーティストであっても、それを聴くときにはまず君の心に問いかけて欲しいんだ

 

今、それを聴きたいのかと

 

ほんとうに今音楽は必要なのかなと

 

それで必要だったらそれを楽しめばいい

 

つまりあくまで自分本位というわけだね

 

もちろん流れにまかせて聴くときもあっていい

 

だけどね、いつかは戻ってきてほしいと思うんだよ

 

自分の感覚を大切にできる場所にね

 

そしてね、その時に必要なものならそれを聴けばいい

 

そうやって君が自分らしさを取り戻せるよう願っているんだよ

自責感と支配と無意識さん

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ねえ、昨日のことが頭から離れないんだよ

 

とても、不快なんだ

 

ねえ、私とは関係ない人のことだと思っても、その人のことを色々と考えたりするのがやめられないんだ

 

君は今日、ずっとそんな感覚に囚われていたんだね

 

そしてね、やっぱりそのせいか、自分を責めてしまうんだね

 

そして、さっきから自責感を捨てるを言ってみてるわけなんだけどね

 

これが効くのかなと思っているわけなんだね

 

だけど、まだ、とても苦しい

 

なぜ、彼女は私にあんなことを伝えて来たんだろうかと

 

そんなことを考えてしまうんだね

 

衝撃が強いから自分一人じゃ受け止められないのかなとかね

 

だけど、もはや自分以外の人の感覚が分からなくなってきてるかもしれない

 

そんな風にも思うんだね

 

なぜなら、自分以外の他人の人生のことは考えたくないと思ってるから、それにわざわざ注目することはしたくないんというわけなんだね

 

だけど、世の中の普通の人はそれが楽しいのかな

 

そんな風にも思うんだね

 

自分とはかけ離れていて、それこそ大嶋先生がよく言うところの、突き抜けた存在の人なら、見聞きしてもあまり影響がなくなるのだろうかと

 

だけど、やっぱり君の場合は、どんなに突き抜けた存在のひとであっても、自分と比較して苦しい感じになってしまう

 

そんな風に感じているんだね

 

だからこそ、それが分かっているからこそ、他人の人生をあまり知りたくないと思ってしまうのかもしれない

 

そんな風に思うんだね

 

僕はね、それでいいと思うんだよね

 

それこそ他人は他人であってね

 

そういうことに関心を持っていることが楽しい人がいて

 

そして、それこそそういうことが無くなったら楽しいことが何もなくなってしまう人もいるんだよね

 

そしてね、そういう人が悪いわけじゃないんだよね

 

そして、君も別に悪いわけじゃない

 

だからね、彼女が君にそれを伝えて来たことに対して、君は、彼女のことを蔑んで、さらには彼女をよい方向へ導いてあげなければ、なんて思っているわけなんだね

 

だからね、その情報とは別に、君はさらに彼女に対して罪悪感を募らせていたというわけなんだね

 

それは責めて罰する偽りの快感でもって支配されているということなんだね

 

それを聞いて、君は、ああそうかと

 

そんな風に思ったんだね

 

まさか、情報を伝えて来た彼女を救わなければいけないと思っていたとは気づかなかったと

 

だから、とても苦しかったんだと

 

そんな風に思ったんだね

 

こんな風にありとあらゆるところに支配と言うものは巧妙にその触手を張り巡らせているというわけなんだね

 

だけど、それに気づくのは簡単なんだね

 

なぜなら、そこには必ず不快感が伴っているから

 

いつまでも頭から離れない不快感

 

それこそが支配の正体なんだ

誇れるものと本当の自由と無意識さん

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誇れるものなど何もない

 

そんなことを思ったんだね

 

それと言うのも、さっき、久しぶりに君の学生時代の友人から連絡が届いたんだね

 

そして、その連絡というのは、君たちの共通の友人についてのものだったんだね

 

しかも、その友人の子どもについて

 

君はその子に会ったのは数回で、それもごく小さなころだったんだね

 

そして、成長したその子は芸術家になり、ついに今度テレビに出演するということだったんだね

 

それを知らなかった君は寝耳に水でとても動揺したんだね

 

ああ、こんなこと知らなければよかったと

 

なぜなら、そんな風に世の中に認められている人は君にとって眩しすぎるというわけなんだね

 

そして、すぐにそういう人と自分を比べてしまって、自分の惨めさを味わうという

 

いつもの不快なループに入ってしまうからなんだね

 

そして、君は友人から送られてきた大量の情報を受け取って、息も絶え絶えになっていたんだね

 

そして僕に救けを求めたんだね

 

僕とお話するということは、すなわち内省になってしまうから、それはそれで苦しいけれど、それよりも今は不快な偽りの快感に飲み込まれてしまいたくない

 

そんな風に思ったんだね

 

そして、今自分は何を感じているだろうか

 

そんなことを自分自身に尋ねてみたんだね

 

すると、確かに、君はそんな風に素晴らしい才能を世の中に認められた人を羨ましいと

 

そう思う気持ちがあると

 

そう思ったんだね

 

だけど、それとは別に、その人のことは良く知らないんだと

 

確かに友人の子供だけれど、その人とは全く話したこともないし、つまりは、ただの他人なんだと

 

そして、その人の作品は素晴らしいと世の中に認められたのかもしれないけれど、自分はそれを見て、正直な気持ち、すごいんだろうなとは思ったけれど、特に好きではないかもしれない

 

そんなことを思ったんだね

 

その作品をお金を出して買うのだろうかと

 

世の中に沢山ある作品の中からそれを選ぶだろうかと

 

こんな考えは、ただの嫉妬のかたまりで、へそ曲がり以外の何ものでもないかもしれない

 

そんな風に思って、君は嫌な気持ちになったんだね

 

だけど、それはどちらも正直な気持ちなんだね

 

そして、以前の君だったら、きっとすぐにその友人に連絡をとっていただろう

 

そんなことを思ったんだね

 

そして、心の中の裏腹な気持ちを押し殺して、当たり障りのない言葉を伝えていたかもしれない

 

そんなことを思ったんだね

 

羨ましいという気持ちと、全く関心がないという気持ち

 

それが正直な気持ち

 

だけど、相手に伝える時は、それとはまったく違ったものを届ける羽目になる

 

それはとても気持ち悪いことだ

 

そんな風にも思うんだね

 

それは清く正しく生きようとすることなのかな

 

そんな風にも思ってみたんだね

 

だけど、それとも少し違うような

 

そんな気がするんだね

 

そして、誇れること

 

そんな風に世の中に認められるものがあれば、それは誇れることと言えるわけなんだね

 

そしてそういうものをずっと追い求めてきたというわけなんだね

 

だけど、誇れるものは世の中に認めてもらわなければならない

 

誰かに認めてもらわなければならないというのは、それはやっぱり支配なのかもしれない

 

そんな風に思うんだね

 

そして、誇れるものがなに一つなくても満ち足りた心でいられることが一番幸せなのかもしれない

 

そんなことを思ったんだね

 

なぜなら、何ものにも縛られないということは支配されないということになるから

 

今、こうして僕と対話していても、君はどこか落ち着かない気持ちでいるんだね

 

なんだか、やっぱり屁理屈ばっかり言っているようで恥ずかしいんだと

 

だけど、それこそが支配なんだと

 

人は何もなくても幸せを感じられる

 

だけど、何もなくても幸せだったら支配できない

 

それでは困る人が世の中にはいるというわけなんだね

 

程よい運動、程よい食事、程よい睡眠で満足するという平凡でありふれた生活

 

それこそが人を幸せにするんだね

 

当たり前すぎて誰かに誇ることなど何もない

 

そんなものが本物の自由というわけなんだね

知能の幅と万能感と無意識さん

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自分の中の知能差を認めるのが難しいと感じているんだね

 

それで、さっき僕は君に、それなら、今日の様に寒い日はどう思うかと聞いたんだね

 

つまり、それは温度についてのお話なんだね

 

こういった温度の変化というものは自然が勝手に行っていることであってね

 

たとえ、今日の様に寒い日があたとしても、確かにその寒さに対して文句は言うかもしれないけれど、それが間違っているとか、そんな温度は認められないということはないんだね

 

そしてね、君たちの知能が時としてばらつきがあるというのも、それと同じということというわけなんだね

 

そう言われても、はいそうですかと、そのまま受け取るのは難しいと感じているんだね

 

なぜなら、自分の知能はこのぐらいなんだから、こういう行動をしようとか決めていけるからというわけなんだね

 

そしてそれが無くなったら間違いだらけの人生になってしまうのではないか

 

そんな風に思っているんだね

 

そうは言っても、君は自分の知能も確かに絶好調の時もあれば、あれ、うまく働いてないなと思うことがあるわけなんだね

 

だけどそれは体調だとか、ストレスとかそういうことが関係してるだけで、知能差というものとは違うように感じているんだね

 

だけどね、そういった現象のことを「知能差」と呼んでいるだけのことでね

 

別に、「調子によって知能が多少変化する事象」と言ってもいいんだけどね

 

確かに少し位は変化するかもしれないとは君も思っているわけなんだね

 

だけど大嶋先生が言うような別人になっちゃうくらいの変化は困っちゃうなと感じているんだね

 

だけどね、君には申し訳ないけど、困っちゃうか困っちゃわないかと言うお話じゃないんだよね

 

君が意識的に困るとか困らないというお話じゃなくてね

 

何ものかによって作られた人間というものは、同じ様に何ものかによって作られた地球と同じでね

 

そして地球の気温が日々違うのと同じでね

 

人間の知能と言うものも日々違ってしまうのはごく自然のことなんじゃないかと僕は思うんだよ

 

そしてね、君が受け入れにくいと感じているのは、その知能の変化によって善悪の判断をされてしまうということ

 

それがあるからじゃないかなと思うんだよ

 

君はこのくらいの知能のはずだから、そんなミスは許されないと

 

そんなことが受け入れにくさのポイントなわけでね

 

多分、知能が変化するということについては僕のお話で受け入れられていると思うんだよね

 

そしてね、つまりは善悪のお話、罪悪感のお話になってしまうから受け入れるのが苦しくなるんだね

 

それは他人から見た君、そして自分自身が見た君が勝手に判断した知能でもって、それ相応の責任を負うべきだとそんな風に思っているというわけなんだね

 

だからね、君が知能差と言うお話を、低いものが悪、高いものが善と捉えている場合、いつまでたってもそれは苦しいストーリーになってしまうんだね

 

だけどね、そんなものは、はなから無いんだと僕は言いたいんだ

 

例えば、常に知能が高いとして、それは本当に君の人生全てにおいて善いとされる働きをするのかどうかということなんだね

 

まあ、君にしてみたらそんなのは当たり前だろうと思うんだね

 

知能が高い方が絶対にいいことばかりのはずなんだと

 

だからこそ低いというのを受け入れたくないんだからと

 

それをどう受け入れればいいのかと

 

そんなことを思うんだね

 

それはつまり、知能が高ければ高い程、人は万能になっていくはずなんだと

 

それは良いことのはずなんだと

 

そんなことに繋がるのかもしれないね

 

だけどね、いわゆる万能感と言うのはまさに無意識とは対極にあるものなんだね

 

常に自分は知能が高いんだと

 

それもそこらへんの人と比べたら随分高いはずなんだと

 

もしそんなことを確信して生きていたとしたら

 

人と言うのは簡単に万能感を持ってしまうというわけなんだね

 

そしてね、万能感が強くなればなるほど、なぜだか無意識とはどんどん遠い所へ行ってしまうというわけなんだね

 

それは君にしてみれば不思議で、もしそうならもったいないし、嫌だなぁと感じてしまうんだね

 

なぜなら、誰しもが幼いころから高い知能と言うのを目指して様々な努力をしてきたのに

 

それを手に入れてもあまり良いことがないとしたら

 

本当に人生と言うのはまったく思い通りにならないということを思い知らされるというわけだからね

 

だけどね、やっぱりね万能感というものは人間にはふさわしくないものなんだね

 

なぜなら人間は万能ではないのだから

 

だからね、そんなものをうっかり持ってしまえば、それによって苦しめられてしまうということなんだね

 

だけど、万能感を持っていない今だって十分に苦しいと君は思っているみたいだけどね

 

僕に言わせれば、完璧な万能感ではないとしても、無意識的に生きていない場合、誰しもが万能感を持っていると言えるんだね

 

それは君たちが気づいていないだけでね

 

意識的に生きるということはすなわち万能感を持っているということなんだね

 

万能感と言うと大げさだけど、自分が何かを成すことができるとか、自分が何かを変えられるという気持ちをもっているかということなんだね

 

だからね、万能感にも強弱があると言えばわかりやすいかもしれないね

 

知能が高いと思えば思うほど、万能感が強くなる

 

そんな風に考えればわかりやすいかな

 

そしてね、知能の変化はあっても、そこに優劣も善悪もありはしないということ

 

意識が作り出した世界では、それがとても大切と思われているわけだから

 

それを何の意味もないものと受け入れるのは難しいことかもしれない

 

だけど、そんな時には思い出してほしいんだ

 

君たち人間も地球も同じであるということ

 

自分が変化しようとして変化できることなど何一つありはしないということ

 

それは全てきめられた通りに、美しい整合性を持って、流れるままに行われているということを

 

楽しさの判断基準と無意識さん

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楽しさの判断基準についてお話したいんだね

 

というのも、君は楽しいを追求するために、まず自分の体をどうにかしなければならないという問題に直面しているんだね

 

もちろんそこには年齢ということも関わってはいるんだけれどね

 

それよりも、やはり、自分の体をいたわるということ、何よりもそれを優先するということがずっとできずに生きて来たんだね

 

それは、偽りの快感であったり、発作であったり、邪魔であったり、とにかく様々なものによって阻害され続けて来たんだね

 

そして、今、ようやくそれを自分に許してあげたいと思えるようになったのに

 

何よりも体を労わる生き方というのはなかなか難しいんだと

 

そんなことを感じているんだね

 

まず、体の発する痛みというものに対して、どうしてだかとてつもなく鈍感になってしまっていることに気づかされるんだね

 

それは感覚鈍麻という状態なわけで

 

痛みの中にいるはずなのに、それを苦痛であるのに苦痛と思えずに

 

そして、そこから逃れることなど思いつきもしない

 

思いつきもしないから、一向にその苦痛から抜けられない

 

そんなループにはまり込んでいたんだね

 

それでも、ようやくそういった苦痛に気づくことができて

 

そして、その苦痛の原因である痛みというものを取り除こうとして

君は色々なことを試みたんだね

 

だけど、最初こそ、その痛みをなくしたい、取り除きたいという思いでいたはずなのに

 

いつの間にか、逆に体をどんどん追い込んで、さらには痛めつけるほどのことを始めてしまっていることに、君は気づいたんだね

 

それは、これまで体と向き合うことができなかったわけだから、その加減が分からないのかもしれないとも思うんだけれどね

 

だけど、ふと思ったんだね

 

こんな風に体の声を聞くということは、やはり何よりも大切なことなのかもしれないと

 

人はどこまで行っても体に従うしかないのかもしれないと

 

そして、楽しいということも同じかもしれないと

 

そんなことを思ったんだね

 

つまり、頭で考えた楽しいことというのを求めたとして、それが体が喜ぶことにそぐわない場合、きっとそれは遅かれ早かれ楽しいものではなくなっていくということ

 

なぜなら、人にとっての本当の喜びは体の喜びなのかもしれないと

 

そんなことを思うからなんだね

 

それはつまり、体というものが無意識そのものであるからというわけなんだね

 

大嶋先生がよく言っていることでもあるけれど、心臓の動きも、呼吸も、瞬きも、全ては無意識に行われているんだと

 

だからこそ、体というものを大切にするということは、まさに無意識を大切にするということになるというわけなんだね

 

そんなことは当たり前のことだし、そんなことは知っていたはずなんだね

 

だけど、本当に知るということは、知識として知っているということとは違うということなんだね

 

それは、やはりタイミングというものがとても重要なのかもしれない

 

そんなことを思ったんだね

 

なぜなら、今、こうして本当に体と向き合うことが出来る時が来たからこそ、心からそう思うというわけなんだね

 

食べることも、寝ることも、好きな洋服を着ることも、感覚を研ぎ澄まして体の声を聞いたなら、頭で考えていた答えとは随分違った答えが返ってくるのかもしれないと

 

そんなことを思うんだね

 

そして、楽しいということは、生活のすべてについてあるというわけで

 

その全てについての答えは無意識の中にあるということ

 

そして、無意識そのものである体を無視したら、それは得られないということ

 

そんなことを思ったんだね

 

自分にとって楽しいことは何だろうか

 

そんな問いに対する答えはいくら意識的に考えても得られないというわけなんだね

 

そして行動してみて、あれも違うこれも違うと試行錯誤していたんだね

 

だけど、そこに帰っていくだけでいいんだと

 

体という無意識そのものに帰っていけばいいんだと

 

そこから何かが始まるのかもしれない

 

そんなことを思うんだね

自己犠牲と自己超越と無意識さん

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さっき、ふと、あることを考えたんだね

 

それは、自分を犠牲にすることに美しさを見出してしまうということについてなんだね

 

君は大嶋先生のメソッドで、これまで散々他者よりも自分の楽しいを追求しようということを言われてきて

 

ようやくそれに納得して、自分の楽しいを追い求めようとしているというのに

 

それならばよくある自己犠牲をした時に感じるあの感覚は何だろうかと

 

そんなことを思ったんだね

 

例えば、幼い子供が病を患って、ある臓器を必要としている場合、よくあるのが親が自分の臓器をその子どもに与えるというものがある

 

そういう物語を聞くとそれだけでもう涙が溢れてきてしまうんだね

 

そこにあるのは何なのだろうか

 

もし仮に自己犠牲の美しさがあるとして

 

それは与える人がもう十分に持っていて、いわゆる自己超越の状態ならば、その行為は美しいと言えるのだろうか

 

だけどどうだろう

 

普通の親が子に臓器を与えるという類の行為は自己超越なのだろうか

 

わからない

 

だけど、それに限らず、自分の身を削る行為

 

戦時中の貧しい状態で、少ない食料を親が子に分け与えるという行為

 

災害時、早くしなければ濁流に流されてしまうかもしれない時、親が子供の救助を優先させるという行為

 

ここまで書いていて君はあることを思ったんだね

 

それは、こういった行為に共通しているのはその人の命がかかっているということ

 

それはつまり生きるか死ぬかというギリギリの状態であるということ

 

そして、それは君がよく感じていたものなんだね

 

死ぬほどの苦しみを感じている時、それはつまり無意識に一番近づいている状態であると言えるわけなんだね

 

死ぬほどの苦しみはもう嫌だと

 

何度も君は思ったわけなんだね

 

だけど、そう言った体験をするたびに君は深く無意識と触れ合うことができたんだと

 

そんなことも感じているんだね

 

なぜならそんな時、君は全く無力で

 

それはもう全てを任せるしかないという状態であるんだね

 

だからこそそれは無意識の状態であるというわけなんだね

 

そして、自己犠牲、それも自らの命を懸けると決断したときというのは、もうそれは無意識に完全に身を委ねた状態であるというわけなんだね

 

だから、人はそこに美しさを感じて、そして涙を流すのかもしれない

 

そんなことを思ったんだね

 

そして、そうなってくると、自己犠牲と言われるものにも違いがあるかもしれないと

 

それは間違いなく自分の命を懸けたものと、替えがきくものがあるんだね

 

そして、自分の命を懸けたもの以外のものは、やっぱりそれは偽物で

 

だから、そういったものを見せられた時には、きっとそれを美しいとは感じないのかもしれないと

 

そんなことを思ったんだね

 

そしてそんな風に美しくない自己犠牲というのは多分やる必要がないものかもしれないと

 

そうなってくると、本当に他者よりも自分を優先するということは自分の生活の中のそのほとんどを占めることになるかもしれない

 

そんなことを思ったんだね

 

それは大変な事だと

 

君は思ったんだね

 

なぜなら、自分にはまだ出来ることがたくさんあるからだと

 

自分の楽しいを追求していく

 

こんな楽し気なことはとても簡単なはずなのに、君にとっては逆にとても難しいことだったんだね

 

だから、いくら楽しいはずのことでも、それに慣れていないということは、やっぱり常に大変な事の繰り返しというわけなんだね

 

それを楽しんでいいんだと

 

楽しいを自分に許してあげるということ

 

そんなこと簡単でしょうと、きっと普通の人は言うのかもしれないけれど

 

どうしてもそれは大変な事で、君がそれに夢中になろうとすると、そこから目を逸らす力が働いて、つい他のことをやってしまったりするんだね

 

だから本当に楽しむということは大変な事と言えるんだね

 

だけど、それでも諦めずにそれに取り組んでいきたいとは思っているんだね

 

そんな体験はきっと生まれて初めてのことで

 

そうなったら自分はどうなってしまんだろうかと

 

そんな自分を見てみたい

 

そうなったときに見える風景を僕と一緒に見てみたい

 

そんな風に思うんだね

関係性の無と無意識さん

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今日の大嶋先生の動画を見て、君は思ったんだね

 

ああ、ちょうど知りたかったことを尋ねてくれた人がいたと

 

その人は旦那さんが鬱になって悩んでいたんだね

 

だけど、大嶋先生が言うには旦那さんはそのままでいいというんだね

 

何もする必要なないんだと

 

旦那さんが病気になることで奥さんが元気になる

 

それが恒常性だと言ったんだね

 

それが無意識のシステムだというわけなんだね

 

だから、そのまま無意識に任せて奥さんがどんどん元気になって楽しくなれば、旦那さんが病気になってバランスをとるということも必要なくなるというわけなんだね

 

そんな無意識のシステムの話を聞いて、君はそれは素晴らしいと思ったんだね

 

だけど、やっぱりまだ分からないことがあるとも思ったんだね

 

それは、選ぶということについてなんだね

 

親子は選んだわけじゃないけれど、夫のことは選んで結婚したわけなんだね

 

だから、君は自分が選んだんだからその関係性には自分が責任をもたなくちゃって

 

そんな風に思って困っているんだね

 

まあね、そうだよね

 

確かに結婚する相手として夫を選んだけれど、だからと言って夫との関係やそれこそ夫の人生というものに対して君は何一つ責任などないんだよね

 

そうかもしれないと思うけれど、何だかひっかかってしまうんだね

 

そして自分が何とかしなければとつい思ってしまうんだね

 

それはいつも君がやり慣れて来た作法だものね

 

それでも、大嶋先生は相手が夫であろうと関係性は無であると言うんだよね

 

だけど、それがやっぱりよく分からないんだね

 

それでもね、やっぱりね、誰も何も選べはしないということ

 

僕が以前君に話したんだよね

 

選んでいるつもりでも、それは選んでいるわけではないということ

 

未知なるものによって作られた人間は、結局何一つ選ぶことなど出来ないということ

 

全ては寸分たがわず密接に絡み合って、その流れの中で人というのはただ流されているだけであって、だからこそ選んだように見えるものも、それはそれを選ぶしかないという決められた定めの中で起きただけのものであって、人が選べることなど何一つないということ

 

だから人は何にも責任など負う必要などないし、そもそも責任などない

 

もちろん、今目に見えている世界、社会では、責任というのは常に付きまとい、そして責任をとるということを求められる

 

だけど、本当の意味で責任が取れる人など誰一人いない

 

なぜなら、人はただ流されているだけであって、その流れを作り出すことなど出来はしないのだから

 

作り出すことができないものに責任など取れはしない

 

だから、夫との関係に立ち戻って考えるとすると

 

君は夫を自分が選んだと考えている

 

だから、夫との関係がこじれたらその責任を負わなければならないし、夫に不都合なことが起きたら自分も協力して何とかしなければならないと考えてしまう

 

だけど、関係というものなどそもそもない中で、いったい何に対して責任というものを取るのか

 

そして、責任を取るということは起きてしまったことを無かったことにする、元通りにするということであるから、それを出来る人などそもそも存在しないのだ

 

君はそんなことは困ったことだと思ったんだね

 

なぜなら、君が生きている世界、社会では大人になれば責任をとるものだというのが当然の様に言われているからなんだね

 

そして、君も意識的には大人になったなら責任を取らなければと思っていたわけなんだね

 

たしかに、責任を取るって何だろうと思わないわけではなかったんだけれどね

 

だけど、もし責任が取れないとなると自分は益々今の世界とは相容れない感じになって、疎外感を感じる結果になってしまうということになりはしないかと危惧してしまうんだよね

 

だけどね、それはね、まあ全て意識が作り出している世界なんだよね

 

そんな風に君が危惧する場面というのが果たして君に訪れるのかな?と僕は君に問いたいんだよ

 

確かに君は責任を取れと言われることを想像して、どうしようと考えてしまうんだろうけどね

 

そういった状況を想像してしまうというのも、まさに意識が作り出している妄想なんだよね

 

君は夫に対して不義理をしていると、誰かから追求されるかもしれないと

 

そんなことを怖れているのかもしれないけれどね

 

だけど、それは何度も言うように全くの妄想なんだよね

 

なぜなら、君が関係性の無について考えているということ、それはつまり夫と君の関係に無意識が働いているということなんだね

 

だからね、その流れに従っていればね、それはつまり無意識の流れに身を任せるということになるわけでね

 

だから、そうなってくると何も心配などいらないと

 

僕は君に言いたいんだよ

 

無意識的に生きる時、それはただ自然とともに生きるということで

 

何も不都合なことなどありはしないんだよ

 

だからね、意識の妄想が与えてくる怖れを、それが妄想だと気づいたなら、もう何も心配することなどないんだよと僕は君に言いたいんだ

 

本当にね、人は無意識に任せて生きるのが楽なんだよ

 

それはそれは美しい姿なんだよ