「笑顔」について無意識さんに聞いてみた
君は笑顔というものに、とても重きを置いていて、だけど、君は自分に対しても誰かに対しても「笑顔」になるということを求めてしまうということに疲れてしまったんだね。
そしてね、笑顔が大切だ、と世間では当たり前のように言われているのに、結局自分はそのせいで疲れて、笑顔じゃいられなくなってしまっていることに、戸惑っているんだね。
それでね、僕がさっきね、君に言ったんだ
笑顔が大切、という考えを捨ててしまってもいいんじゃないかなってね
そしたら君は、まあ、いつものことだけど、そんなことは受け入れられないと思ったわけなんだね
だってね、映画、ドラマ、歌はもちろんのこと、人を笑顔にする、ということが行動することの原動力のように言われているわけだからね
だからね、君は僕に訴えたわけなんだね
笑顔になることを捨てるってことは、生きる希望をなくすことと同義なんじゃないかってね
まあね、世間ではいかにもそういうことであるかのように、人が笑顔になるということの意味付けをしているわけなんだよね
ただね、捨てると言ったのはね、別に笑顔になってはいけないと言っているわけじゃないんだよね
いつも言っているようにね、”なる”ということを捨ててもいいんだよっていうことなんだよ
自分を笑顔にする、とか、他人を笑顔にする、といった聞きなれた言葉があるわけだけどね、そんなものは放っておいて大丈夫なんだよ
だけど君は、笑顔になりたいし、周りの人も笑顔でいて欲しいんだと僕に訴えるんだよね
苦しさの反対側にあるものが喜びだとするなら、そのとき人は笑顔なんじゃないかと君は思うわけなんだね
それはね、君がね、いつもいつも苦しみの中にいて、どうにかしてその対極にある喜びの方へ行きたいと強く願っているからこそ、そういう思いに駆られるわけなんだけれどね
君がね、苦しみから徐々に離れていくことが叶って、そして今とは違う場所に立った時、君の中で笑顔になる、ということを今ほど強く求める必要はなくなっているんじゃないかと思うんだよ
そんなのは寂しいと
こんな苦しみから抜け出すには笑顔が必要で、笑顔になるようなことを見つけられれば、君は喜びに近づけるんじゃないかと思うわけなんだね
そうだなぁ、だけど僕はやっぱりこう言うしかないんだよ
無意識は苦しみでも喜びでもないんだよ
本当にね、君にしてみたら、自分が行きつく先はやっぱり喜びに溢れていて欲しいと思ってしまうわけなんだけどね
だけど、そこに行ってみないとわからないんじゃない?と僕は言いたいんだよ
君が想像する喜びに溢れている場所よりも、もっと素敵な場所があるかもしれないってことをね