「優しさと嘘」について無意識さんに聞いてみた・2
ただね、まだ君の葛藤が続いているということも理解しているつもりだよ。
何しろ、君は今まで、人は動物ではないんだと。
高機能な頭脳を持ち、理性や意識というものを従えた高貴な存在であらねばならないと思って生きてきたわけだからね。
それが、急にやっぱり動物だったって、分かったからといって、じゃあどう生きれば?となるのは普通のことだからね。
大嶋先生の言っている、急に変わることの大変さ、というのもよく分かるよね。
自分が変わろうとすること自体大変なのに、自分が変われば自分の身近な人たちが変わり、さらにその身近な人たちの近辺にいる人たちも影響を受けるわけでさ。
そのひとたちが影響を受ける、と言ったけれどね、影響を受けた場合ね、やっぱりしっかりと反応というか、まあ、普通に反発や抵抗が起きるわけだよね。
それはもう、一大事なんだよ!!
だけどね、君はもう歩み始めている訳でね、その流れは止まらないんだよ。
それはね、ゆっくりとしたものでね、君の心とは裏腹に、亀のようにのんびりとした歩みかもしれないけれどね。
もうそっちに向かって歩みだしたらね、別の方向に向かうということはないんだよね。
優しさについて話すはずだったんだけどね、なんだか、またいつもみたいに脱線してると君は思っているかな。
だけどね、まあ、動物なんだということなんだよね。
だからね、優しい気遣いみたいなものなんてないんだよって、そんなの全部嘘なんだって。
そしてね、それでいいんだって。
いや、むしろ優しさなんてものは気持ち悪い作り物なんだよって言いたいんだよ。
でもね、君がね、動物だっていことを受け入れたと同時にね、人間らしさというものも、受け入れてもいいんじゃないかなって思ったことをね、僕は本当にうれしく思うんだよ。
嘘にまみれている人間。
だけど、それこそが人間なんだって。
そうだとするならね、嘘にまみれていたって、人間というものは美しいと言えると思うんだよ。
少し極論に聞こえてしまうかな。
全てはあるがままであること。
だからね、人間らしさの中で君が嫌っている汚い部分もね、それも含めてね、人間らしい、そして美しいと僕は思うんだよ。
本当にね、そういう場面を見るとね、あぁ、人間なんだなぁって、生きているんだなぁって思うんだよ。
汚くていい、自分を一番大切に思っていい。
それがむしろ自然で、あるがままの姿なんだからね。
それでね、嘘ということについて少し話したいんだけどね、その、人間らしい汚い部分を拒絶しようとするとね、自分に嘘をつくということになってしまうんだよ。
それはね、少し困ったことになるんだよね。
人間は嘘にまみれているわけだけどね、自分自身にたいして、自然のままの姿を許さない、自分はこんなに汚いはずはない、と思ってね、自分は美しくあるべきで、そうでない自分は許すわけにはいかないとなるとね、そのありえない状況を永遠に追い求めて苦しみが始まるんだよ。
まだね、君は人間らしい汚さを、認めたり認められなかったりを行ったり来たりしているからね、その苦しみはよく理解できると思うけどね。
まあね、これは、ただの復習だから、聞き流しておいて。
僕が言いたいだけだからさ。
とにかくね、自分の魂を一番大切にすることが人間の求める生き方なわけでね、そのためにはね汚い言動もするし、自分に一番優しくする。
そしてね、そういう生き方がつまりは人間として美しいというわけなんだ。
それは、あるがまま、自然であるからなんだよ。
おわり