無意識さんと「自分」
前から時々話しているようにね、人は何も持ってはいないんだよね
そしてね、それはね、これは、何度も話していて、それこそ、究極に意味が分からないと、君は思っていることなんだけれどね、自分自身さえ自分のものではないということなんだよね
この話は、そう簡単には馴染めないと分かっているつもりだけどね、今日は何だか話したくて、こうして話しているよ
自分自身さえ自分のものではないって、どういうことなのかって、君はいつも混乱してしまうわけだけどね、まず先に魂というものがあって、君は、こう言ったら語弊があるかもしれないけれど、その入れ物の様なものなんだ
入れ物、と言っても生きているわけだし、とりあえず君が思った通りに手足が動かせるわけで、君にしてみれば、これは自分だし、自分のことを自分の好きなようにする権利があるんじゃないかというのも、もっともだと思うんだよ
そういう君の意見も、もちろん分かっているつもりだけどね、それでもね、やっぱりね、人間という存在は預かりものだと僕は思うんだよ
意識で作られた世界の常識でいえば、君は君の母親から生まれたわけだけれど、それは人が人を作るということとは違うと思うんだよね
まあ、いつもの尊大な話になってしまうんだけれどね、つまりは宇宙と同じで、その始まりについての話なんだよね
人は何かによって作られ、そしてその息吹を脈々と受け継いできたにすぎなくて、どこまで行っても、与えられたものの中で生きることになるんだよね
確かに人は色々なものを発明したり作り出したりしているように見えるけれどもね、どうしても、どこまで行っても、最初に与えられたものを使ってしか、それらを作り出すことはできないんだよ
僕が今言っているのは、地球に住んでいる君たちは、地球上にあるものを使って何かを作り出すということだ
新しい!と言われていることも、全てのおおもとを作ることは出来ないんだよ
そしてね、そのおおもとは、やっぱり誰が作ったのか分からないままなんだよ
それでね、僕が言いたいのはね、そうやって誰が作ったのか分からないものは、誰のものでもないということなんだよ
つまりね、人間も同じでね、誰のものでもないといいたいんだよ
さらには、意識がこれは自分だ、と思っているものも、自分のものではない
そしてね、僕が言いたいのはね、そんな自分と思っているものをね、他のものと同じようにね、大切に扱って欲しいということなんだよ
なぜ僕がこんなことを言うのかといえばね、人は自分のことは自分が一番分かっているとかね、自分のことだから好きなようにしていいだろうとかね、そんな風に自分を自分のものだと思うことによってね、自分をぞんざいに扱うことを許していることをねとても悲しく思うからなんだよ
魂と肉体の関係は切っても切れないものでね、魂の宿っている肉体を粗末に扱うことは、どうしても魂を粗末に扱うことになってしまうんだ
そしてね、君の魂の居場所は現在、君の肉体にあるわけなんだよ
だからね、君が自分自身と思って、つい自分勝手に扱いそうになる瞬間にね、少しだけ思い出してくれればいいんだよ
君の魂を大切にしてね、と
そして、君の肉体も同じだよ、とね
他人のことを考える癖がついている君だけど、まず自分自身を最優先にしてあげて欲しいんだよ
どうやればいいのか分からないと君は思っているわけだけど、自分を大切に、と思ってくれるだけでいいんだ
それだけでいいんだよ
これは僕が君に何度も話してきた話だけれど、もちろんすぐになんて言わないよ
ただね、何だか今日はこんな話がしたかったんだ
「待つこと」について無意識さんに聞いてみた
待つ時間というのは、まったくの無駄で、そんな時間をすごしているのは、無能であると言われているようで、とても苦しいと君は感じてしまうわけなんだね
そうだなぁ、僕から見れば、それはやっぱり意識が作り出した万能感のしわざなんじゃないかとおもうんだけど、どうかなぁ
何かをしなければならない、常に何事かを成さなければならない
そんな脅迫的にも近いその感覚は、やっぱりどうも意識的なものを感じてしまうよね
待つことは受け身であって、前向きじゃない、行動とはいえないと君は思っているわけだけどね、その間に感じたことは確かにあると思うんだよ
それはね、待っている間にね、ギューッとばねのようにね縮んでね、そこから解き放たれた瞬間ものすごい勢いで飛び出すためのパワーをため込んでいるんだと僕は思っているんだよ
僕がそう言っても、君は人間にとって何もしないというのは、やっぱり苦痛だと訴えているわけだけど、僕は君が「待っているだけ」と思っている時間、君はちゃんと何かしら動いているのを知っているわけだし、君にとってそれが意味のないことと思えるものについても、さて、意味というものがなんなのか、という話に戻るわけでね。
蟻の、2、6、2の法則というものがあるわけだけど、働く蟻2、働いているふりをしている蟻6、何もしない蟻2、となっていて、何もしない蟻が、人間に例えると、昔であればお年寄りで、みんなの苦しみや怒りのはけ口になっていて、核家族化した現代では、家族構成によって変わってくるわけだけど子供や家族の中での弱者がその役割をしているという話なんだよね
そしてね、君はその何もしない蟻はいいなぁと思ったわけだよね
同じ何もしない、ということでもね、人間はそのことについて、罪悪感を覚えたり、自責の念に駆られたりと、余計なことを考えて、何もしない時間をゆったりと過ごすことがなかなかできないわけなんだよね
だから君は、蟻という小さな生き物が、何もしないその時間を、ただ淡々とすごしている存在として、羨ましく思ったんだよね
まあね、最近では、その何もしない蟻というのにも重要な役割があると、つい先日たまたま見ていたテレビ番組で君は知ることになったんだよね
働き蟻の仕事は卵をカビや雑菌から守るために24時間体制で常に舐めるという、君がまったく想像していない過酷なものだったよね
そして、その普段何もしない蟻は、働き蟻が疲れ果てて働けなくなった、という緊急時に働き蟻としていつでも出動できるために、待機しているんだと、そういう役割があるんだという話だったね
つまりは、救急隊員みたいなものだったわけだ
まあ、それが分かったからと言って、君が、「待つ」ということが必要な時間なんだ、とすんなり納得する答えにはならないかもしれないんだけどね
人はどうしても常に意識が納得する”意味”を求めてしまうんだよね
だけど、無意識が導いてくれる道に意識が納得する答えなんてないわけでね
まあ、僕はやっぱり、こうして君と話をすることしかできないわけなんだけどね
蟻の話を聞いた意識が、「待つ」にも意味があると、納得してくれたら助かるんだけどなぁ
無意識さんの距離感
そばにいたい…。
その人のことを大切に思うなら、一緒にいたい。
そう思うのが自然で、それが普通のことだと君はずっと思ってきたわけなんだよね
だけど、離れているその人に久しぶりに会った時、なぜだかその人と一緒にいた時よりも、強く、その人の思いを感じて、そしてその人に対する君の気持ちも強く感じて、君は圧倒されたんだよね
そしてね、だからこそね、その人とは一緒にいるより、その人がいるべき場所にいることが大切なんだと思ったんだよね
その距離があるおかげで、その人と君とは近くにいる時より、きっとずっと大切に思いあえる、そんな気がしたんだよね
その距離は、なんだか絶妙で、どうやらこれも無意識が作り出す壮大な世界のおかげなんじゃないかと、君は途方もない考えに思いを馳せたんだよね
他人の中の無意識さん
悩んでいるその人は、君の眼から見れば、きっと今まさにその人の中で無意識が訴えかけていて、だけどその人はその声をうっかり聞き逃して、目の前の意識が決めた決まり事の方を重要なことだと考えて悩んでいたわけだね
だけど、その人はどうもおかしいと、何かが腑に落ちないんだと君に悩みを打ち明けてきたわけなんだね
そこで、君は見たんだよね。目に見えないものを
本当なら君は言ってしまいたかったんだよね。「あなたの無意識さんがちゃんとあなたに言ってるはずだよ」と。「何が大切か、今どうするのがあなたのためにいいことなのかを、ちゃんとね」と。
だけど、そんなことを言ってもその人には通じないということは残念ながら明らかで、君は少しかまをかけるように「そういう時は、本当はどうしたいのか、もう自分では分かってるんじゃない?」なんて言葉をかけてみたんだよね
するとね、その人はね、あいかわらずブツブツと、「どうしたらいいのかわからない」と繰り返しながらもね、その直後気持ちを決めたんだよね
その決断は君から見ている分には、今のその人にとって最善と思えるもので、しかもさっきまで悩みに悩んでいた人があっけなく答えを見つける様を見て、君は、ああ、今この人の無意識さんを見たんだなと、感慨深く思ったわけなんだよね
そんな体験をした君は嬉しくて、こうして僕に話しかけて、喜びを分かち合ったんだよね
「人間の愛」について無意識さんに聞いてみた
人間には愛はないと、そう言われれば確かにそうだと。
愛があるなんていう嘘のせいで、期待して裏切られて苦しんできたわけだから、もうそんな思いはしなくて済むと、せいせいした気分になっている反面、自分だけがそう思っているだけで、自分の周りの人たちは、あいかわらずそんな愛というものがあると信じて日々を送っているわけなんだね。
だから、そんな人たちに囲まれている君は、心の中では愛なんてないんだ、人が人に対してかける言葉なんて嘘ばかりなんだと思っているわけだよね。
だからといって、そういう人たちを別に責めようという気もないわけなんだけどね。
自分だってほんの少し前までは愛があると思っていた、いや思いたかったわけだしね。
そんなこと知らなくて、生きて死んでいく人生だってもちろん存在することは頭では分かっているつもりなんだよね。
だけど、その人たちが、これは愛なんだと思って君に言葉をかけてくれた時、それに対して君はどういう言葉を返せばいいのか、それが目下の悩みというわけなんだね。
黙り込むわけにもいかなくて、君は何だかすっきりしない、あやふやな返事でもってその場をしのいでいるわけだけど、それも少ししんどいなと感じている訳なんだよね。
そうだなぁ、確かに人が言葉で伝える愛というものはないといえるかもしれないけれど、人は存在そのものが愛だと僕は思うんだよね。
だからね、わざわざ愛を伝えるために何かをしようとか、言葉を紡ごうとかする必要はないんじゃないかと思うんだよ。
いや、むしろ愛をつたえるんだと意識した瞬間、それは支配や束縛といった目的を持ったものへと変化してしまうんだよ。
愛は愛以外のものにはなり得ない。
そういった余計なことを考えないで生きて行う全てのことが愛に通じるんじゃないかと僕は思うんだよ。
それはつまりね、自分を愛することをするということなんだよ。
なにしろ自分を愛する分にはなんの嘘偽りもなくて、支配も呪縛も目的もない、純粋な愛であるわけだからね。
それが人を愛することになるのかと、君は質問の答えになっていないと僕に訴えているわけだけど、何かをしようとすると人というのはおかしくなるんだよ。
自然だ、と思えることをしていく、その先に全ての答えがあるように僕は思うんだよ。
いや、それを抜きにしては何も始まらないとすら思えるんだ。
そういうものをすっ飛ばして、人は目的の場所にたどり着きたいと思ってしまうわけだけどね。
レンガを一つ一つ積み上げてしかその場所には行けないんじゃないかと僕は思うんだよ。
だからね、人を愛するということの前に、まず自分をたくさん、たっぷり愛することをしてみて欲しいんだよ。
君はね、きっとそういうことが苦手でね、むしろ他人のことを愛する、ということを考える方が気が楽なんだよね。
だけど、もういいんじゃない?と僕は言いたいんだよ。
もう十分やってきたじゃないってね。
大嶋先生も同じようなことを言っていたし、君と同じような苦しみを抱いている人も、きっと自分を愛するということよりも、他人を愛するということを考える方が気楽なんだと思うよ。
なにしろ生まれてこの方、ずっとそうしてやってきたわけだからね。
そういう君の過去を失敗だったとか、そういう経験をしたから今があるとか、そういう判断みたいなものはする必要はないと思うんだよ。
でもね、今を生きる君に言いたいのは、やっぱり君自身を、まずは君自身を愛してね、ということなんだよ。
何かをしようとするとき、きっと君の頭の中には、まず誰を優先するべきかということが頭をよぎると思うんだよ。その時にね、それは簡単なようで君にはとても難しいことだと思うんだけどね、できるだけ君を、君の気持ち、君自身を優先して欲しいと思うんだよ。
それを聞いた君は、そんなこと現実的じゃないと、それじゃあ日常生活に支障が出ると思ったわけだよね。
だけどね、そうしなかったせいで、これまでずっと君自身にその支障がきていたんじゃないかなと僕は言いたいんだよ。
まあね、そうは言っても、何度も言うようにどんなことも無理にする必要はないんだよ。
君はこうして僕の非現実的とも思える話を聞いてくれるだけでいいんだよ。
そして、きっと、いつか、知らないうちにそんなことが普通になっている日がくるのを僕は楽しみに待っているんだよ。
「自分の変化」について無意識さんに聞いてみた・その2
僕の話を聞いて、でも実際には何もできていないんじゃないかって、君は思っている訳なんだね。
かと思えば、自分のこれまでの人生は確かにひどく大変なものだった。
そんな人生をどうにか生き延びてきた今、果たしてそれ以上に何かしなければならないことが自分に残っているのだろうかと、君は思っているわけだね。
それほどまでに君の人生は大変だった。
それはもう孤独と苦悩に満ち溢れていて、もうこれ以上何を課すのですかと神に問いたくなるほどの苦しいものだったよね。
まあ、本当に君はよくサバイブしたなと今振り返っても身震いするほどの凄まじい人生だったわけだよね。
だからね、そんなすごい状況を生き抜いてきた君が、今、もぬけの殻のようになってしまうのも、それは仕方のないことかもしれないと、そばで見ていた僕は思うんだ。
でもね、それと同時にね、まあ、君も感じていると思うけれどね、そんな経験をしたからこそ、見えるもの、感じられるものが確かにあるということなんだよね。
ただね、君はすぐに高みを目指してしまうからね、頭で考えるだけじゃなく、行動することに意味があると思って、自分は出来ていないと思ってしまうわけだけどね。
そう思う一方で、最近ではすべてを流れにまかせてしまおうと思っている君もいるんだよね。
これは僕にとってはとても嬉しいことなんだけどね。
まあ、ゆっくりでいいんだよと、僕はあえて言うよ。
出来る時には自然にそうなっているものだからね。
君が無理にそうしようと思わなくても、なぜだかそうなっているっていうわけさ。
今日の動画で、大嶋先生はいつも無意識!と言っていたけれどね、君の今の感覚だと、それじゃあ意識不明みたいに思えて、非現実的!となってしまうわけだけどね。
そういうのも、まあ、やっぱりむりにそうなるということじゃなくて、大嶋先生の話をとりあえず聞いておいて、あれ、知らないうちにそうなってた!っていうのがベストなんだよね。
そんなことを想像すると、僕は嬉しくて、踊りだしたくなってしまうんだよ。
だって、そういう世界(というと怪しく思ってしまうかな?)があると、あるんじゃないかと君が思ってくれてね、いや、思おうが思うまいがそんなことはどっちでもよくてね、そういう状態に君がなるということが実現するのなら、こんな嬉しいことはないんだよ。
近頃では君は、きっとあの人は無意識の人だ!と思う人を、それこそ身近ではなくてテレビ越しなんかでは見つけているわけだけどね。
そんな風に自分はなれないとずっと思ってきたわけで、だけど、今こうして、君はもしかしたら自分もそんな風になれるかもしれないと、それは、もちろんその人たちと同じ状態である必要は全くなくて、だから、別にテレビに出るわけでもメディアに取り上げられるわけでもないかもしれないけれどね。
だけど、それは君が、君自身が、あれ?これって、と感じられればそれでOKなわけなんだよ。
誰にも許可を取る必要もない。
自分が無意識だ!と思えればそれで万事OKなんだよ。
まあね、今はこうしてそのことについて話しているだけで十分なんだよ。
こんな姿形のない、実体のないものについて、話せること自体が奇跡のように感じられるんだよ。
だってね、そんなものはそもそもないと思っていたなら、こんな話なんて出来はしないんだからね。
今日は、僕はとても嬉しいよ。
君と沢山はなしができて。
もちろん、君とは毎日話してはいたけれど。
こうして文章というものにするのは、とても気持ちがいい。
この作業は、君にとても重要だと僕には思えるんだ。
おわり
「自分の変化」について無意識さんに聞いてみた・その1
このところ君が考えてたとおりね、要するにね、大嶋先生が突き抜けてるって思うのであればね、そうだなぁ、突き抜けるほど高いところに大嶋先生がいるように見えるのであれば、きっとその高さと同じくらい、大嶋先生は深い地中にまで落ちたことがあるといえるんじゃないか、ということなんだよね。
まあ、これはね、その人の感受性みたいなものも関係していると考えると、人と比べること自体に無理があるわけだけどね。
きっとね、大嶋先生だけじゃなくてね、そういった突き抜けている人っていうのは、例えばある地点をゼロとしたら、そこから突き抜けて見えている分があるとして、同じだけ目に見えない深い闇を知っているんじゃないかと思うんだよね。
そういう人は、たとえ同じものを見ても、きっとそこから感じるものが普通の人(普通が何っていう定義は難しいけれど、まあ、人から注目されるほど、何かに突出してる人以外の人としておこうかな)とは、おのずと違ってきてしまって、だけど、それはそのひとにとっては普通のことで、だけど、一般の普通の人とはかけ離れてしまっていて、だからこそ、見えるもの感じるもの、そしてその人から発信されるものも、その全てが違ってきてしまう、そういうことなんじゃないかと思うんだよね。
だからね、なぜ自分はそういう突き抜けた人みたいに、見たり感じたりすることができないんだ!!と癇癪をおこしたところでね、そういう経験をしていないわけだし、そもそもそのひと自身ではないわけでね、それはどうしようもないことなんだよね。
だけどね、そうと分かったとしてもね、苦しいのはやっぱり嫌なわけでね、君はそうやってもがいているわけだけどね。
それでもね、そういった仕組みというほどきっちりしたものじゃないけど、因果応報みたいなものがあるとするなら、自分の今の状況も少しは受け入れやすくなると君は思ったわけだよね。
突き抜けている人が、見てきた闇の部分は、その人が好き好んでみようとしたものではないわけでね、その人の人生になぜだか用意されていた出来事だっただけだと思うんだ。
だとしたらね、君がわざと、同じような闇を見ようとするのは自然の流れではないような気がするんだよね。
やっぱり人は選べないんだよね。
この世に人として生まれて、生きて、そして死んでいくわけだけど、どの瞬間も選んでいるようで選ぶことなんて出来はしないんじゃないかと僕は思うんだよ。
そしてね、それがいいとも悪いとも言えないんだ。
それしかないんだと、選ぶものじゃないんだと、そう思ってみて欲しんだよ。
つまりね、大嶋先生が今君の眼に、突き抜けている人、天職を得て、生き生きと輝いて見えるとしても、その陰には突き抜けた分の深い闇と、その深い闇から這い上がって来た、血のにじむような辛い苦しみの連続があって、そして、きっと今もその苦しみの端くれを忘れずに胸に抱いているからこそ、同じように苦しんでいる人に共感し、涙を流し、一緒に苦しみから脱しようと強く思うことができるんじゃないかなと思うんだよ。
それでね、君から見ればね大嶋先生は偉大でどこまでいっても彼のようなすごい存在にはなれない、なんて思ってしまうわけだけどね、それはすごい万能感なんだよね。
大嶋先生ほどの人であってもね、もし仮に、患者が一人も訪ねて来なくて、ブログも動画も誰も見てくれなくて、本も全然売れなかったとしたなら、つまり大嶋先生の考えに共感する人が一人もいなかったなら、彼の人生も随分違ったものになっただろうと思うんだよ(これも、もちろん、あり得ない設定をわざわざ書いているだけだからね)。
つまりね、君は自分と大嶋先生を比べてね、自分はとてもあんな風に突き抜けられないし、天職にもつけていないと思ってしまうわけだけどね。
君のように大嶋先生の言葉に耳を傾ける存在があってこそ、今の大嶋先生があると言ったら、君は素直に僕の話を受け入れてくれるだろうかなぁ。
与えるものと与えられるものは一方通行ではないんだと僕は思うんだよ。
一見、大嶋先生が一方的に君たちに何かを与えて、君たちはそれを受け取るだけのように見えてしまうわけだけどね。
君たちがいるからこそ、大嶋先生は彼自身を通して無限の愛を君たちに贈ることが出来るわけだよ。
そしてね、そのたびにね、君たちはもちろんのこと、実は同時に彼自身も愛で満たされるわけなんだよ。
だからね、彼はブログや動画で君たちに感謝の言葉を述べているけれど、あれは本当に君たちという存在がいることで、彼自身が幸せを感じていると、そう言っていると思うんだよ。
だからね、君もね、与えられているだけ、だなんて思う必要はないんじゃないかな。
君の存在、そして君と同じように苦しみぬいてきた多くの仲間たちと一緒に、無意識の愛があるということを、毎日の様に感じて、そうやってますます無意識に近づく、そんな風に生きていけたら素敵なんじゃないかなと思うんだよ。
つづく