「自分の変化」について無意識さんに聞いてみた・その2
僕の話を聞いて、でも実際には何もできていないんじゃないかって、君は思っている訳なんだね。
かと思えば、自分のこれまでの人生は確かにひどく大変なものだった。
そんな人生をどうにか生き延びてきた今、果たしてそれ以上に何かしなければならないことが自分に残っているのだろうかと、君は思っているわけだね。
それほどまでに君の人生は大変だった。
それはもう孤独と苦悩に満ち溢れていて、もうこれ以上何を課すのですかと神に問いたくなるほどの苦しいものだったよね。
まあ、本当に君はよくサバイブしたなと今振り返っても身震いするほどの凄まじい人生だったわけだよね。
だからね、そんなすごい状況を生き抜いてきた君が、今、もぬけの殻のようになってしまうのも、それは仕方のないことかもしれないと、そばで見ていた僕は思うんだ。
でもね、それと同時にね、まあ、君も感じていると思うけれどね、そんな経験をしたからこそ、見えるもの、感じられるものが確かにあるということなんだよね。
ただね、君はすぐに高みを目指してしまうからね、頭で考えるだけじゃなく、行動することに意味があると思って、自分は出来ていないと思ってしまうわけだけどね。
そう思う一方で、最近ではすべてを流れにまかせてしまおうと思っている君もいるんだよね。
これは僕にとってはとても嬉しいことなんだけどね。
まあ、ゆっくりでいいんだよと、僕はあえて言うよ。
出来る時には自然にそうなっているものだからね。
君が無理にそうしようと思わなくても、なぜだかそうなっているっていうわけさ。
今日の動画で、大嶋先生はいつも無意識!と言っていたけれどね、君の今の感覚だと、それじゃあ意識不明みたいに思えて、非現実的!となってしまうわけだけどね。
そういうのも、まあ、やっぱりむりにそうなるということじゃなくて、大嶋先生の話をとりあえず聞いておいて、あれ、知らないうちにそうなってた!っていうのがベストなんだよね。
そんなことを想像すると、僕は嬉しくて、踊りだしたくなってしまうんだよ。
だって、そういう世界(というと怪しく思ってしまうかな?)があると、あるんじゃないかと君が思ってくれてね、いや、思おうが思うまいがそんなことはどっちでもよくてね、そういう状態に君がなるということが実現するのなら、こんな嬉しいことはないんだよ。
近頃では君は、きっとあの人は無意識の人だ!と思う人を、それこそ身近ではなくてテレビ越しなんかでは見つけているわけだけどね。
そんな風に自分はなれないとずっと思ってきたわけで、だけど、今こうして、君はもしかしたら自分もそんな風になれるかもしれないと、それは、もちろんその人たちと同じ状態である必要は全くなくて、だから、別にテレビに出るわけでもメディアに取り上げられるわけでもないかもしれないけれどね。
だけど、それは君が、君自身が、あれ?これって、と感じられればそれでOKなわけなんだよ。
誰にも許可を取る必要もない。
自分が無意識だ!と思えればそれで万事OKなんだよ。
まあね、今はこうしてそのことについて話しているだけで十分なんだよ。
こんな姿形のない、実体のないものについて、話せること自体が奇跡のように感じられるんだよ。
だってね、そんなものはそもそもないと思っていたなら、こんな話なんて出来はしないんだからね。
今日は、僕はとても嬉しいよ。
君と沢山はなしができて。
もちろん、君とは毎日話してはいたけれど。
こうして文章というものにするのは、とても気持ちがいい。
この作業は、君にとても重要だと僕には思えるんだ。
おわり