無意識さんの部屋

大嶋信頼先生の本、ブログ、動画にて精進中。無意識さんから受け取ったメッセージを綴っていければと思います。

「自分の変化」について無意識さんに聞いてみた・その1

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このところ君が考えてたとおりね、要するにね、大嶋先生が突き抜けてるって思うのであればね、そうだなぁ、突き抜けるほど高いところに大嶋先生がいるように見えるのであれば、きっとその高さと同じくらい、大嶋先生は深い地中にまで落ちたことがあるといえるんじゃないか、ということなんだよね。

 

まあ、これはね、その人の感受性みたいなものも関係していると考えると、人と比べること自体に無理があるわけだけどね。

 

きっとね、大嶋先生だけじゃなくてね、そういった突き抜けている人っていうのは、例えばある地点をゼロとしたら、そこから突き抜けて見えている分があるとして、同じだけ目に見えない深い闇を知っているんじゃないかと思うんだよね。

 

そういう人は、たとえ同じものを見ても、きっとそこから感じるものが普通の人(普通が何っていう定義は難しいけれど、まあ、人から注目されるほど、何かに突出してる人以外の人としておこうかな)とは、おのずと違ってきてしまって、だけど、それはそのひとにとっては普通のことで、だけど、一般の普通の人とはかけ離れてしまっていて、だからこそ、見えるもの感じるもの、そしてその人から発信されるものも、その全てが違ってきてしまう、そういうことなんじゃないかと思うんだよね。

 

だからね、なぜ自分はそういう突き抜けた人みたいに、見たり感じたりすることができないんだ!!と癇癪をおこしたところでね、そういう経験をしていないわけだし、そもそもそのひと自身ではないわけでね、それはどうしようもないことなんだよね。

 

だけどね、そうと分かったとしてもね、苦しいのはやっぱり嫌なわけでね、君はそうやってもがいているわけだけどね。

 

それでもね、そういった仕組みというほどきっちりしたものじゃないけど、因果応報みたいなものがあるとするなら、自分の今の状況も少しは受け入れやすくなると君は思ったわけだよね。

 

突き抜けている人が、見てきた闇の部分は、その人が好き好んでみようとしたものではないわけでね、その人の人生になぜだか用意されていた出来事だっただけだと思うんだ。

 

だとしたらね、君がわざと、同じような闇を見ようとするのは自然の流れではないような気がするんだよね。

 

やっぱり人は選べないんだよね。

 

この世に人として生まれて、生きて、そして死んでいくわけだけど、どの瞬間も選んでいるようで選ぶことなんて出来はしないんじゃないかと僕は思うんだよ。

 

そしてね、それがいいとも悪いとも言えないんだ。

それしかないんだと、選ぶものじゃないんだと、そう思ってみて欲しんだよ。

 

つまりね、大嶋先生が今君の眼に、突き抜けている人、天職を得て、生き生きと輝いて見えるとしても、その陰には突き抜けた分の深い闇と、その深い闇から這い上がって来た、血のにじむような辛い苦しみの連続があって、そして、きっと今もその苦しみの端くれを忘れずに胸に抱いているからこそ、同じように苦しんでいる人に共感し、涙を流し、一緒に苦しみから脱しようと強く思うことができるんじゃないかなと思うんだよ。

 

それでね、君から見ればね大嶋先生は偉大でどこまでいっても彼のようなすごい存在にはなれない、なんて思ってしまうわけだけどね、それはすごい万能感なんだよね。

 

大嶋先生ほどの人であってもね、もし仮に、患者が一人も訪ねて来なくて、ブログも動画も誰も見てくれなくて、本も全然売れなかったとしたなら、つまり大嶋先生の考えに共感する人が一人もいなかったなら、彼の人生も随分違ったものになっただろうと思うんだよ(これも、もちろん、あり得ない設定をわざわざ書いているだけだからね)。

 

つまりね、君は自分と大嶋先生を比べてね、自分はとてもあんな風に突き抜けられないし、天職にもつけていないと思ってしまうわけだけどね。

 

君のように大嶋先生の言葉に耳を傾ける存在があってこそ、今の大嶋先生があると言ったら、君は素直に僕の話を受け入れてくれるだろうかなぁ。

 

与えるものと与えられるものは一方通行ではないんだと僕は思うんだよ。

 

一見、大嶋先生が一方的に君たちに何かを与えて、君たちはそれを受け取るだけのように見えてしまうわけだけどね。

君たちがいるからこそ、大嶋先生は彼自身を通して無限の愛を君たちに贈ることが出来るわけだよ。

そしてね、そのたびにね、君たちはもちろんのこと、実は同時に彼自身も愛で満たされるわけなんだよ。

 

だからね、彼はブログや動画で君たちに感謝の言葉を述べているけれど、あれは本当に君たちという存在がいることで、彼自身が幸せを感じていると、そう言っていると思うんだよ。

 

だからね、君もね、与えられているだけ、だなんて思う必要はないんじゃないかな。

 

君の存在、そして君と同じように苦しみぬいてきた多くの仲間たちと一緒に、無意識の愛があるということを、毎日の様に感じて、そうやってますます無意識に近づく、そんな風に生きていけたら素敵なんじゃないかなと思うんだよ。

 

つづく