「人間の愛」について無意識さんに聞いてみた
人間には愛はないと、そう言われれば確かにそうだと。
愛があるなんていう嘘のせいで、期待して裏切られて苦しんできたわけだから、もうそんな思いはしなくて済むと、せいせいした気分になっている反面、自分だけがそう思っているだけで、自分の周りの人たちは、あいかわらずそんな愛というものがあると信じて日々を送っているわけなんだね。
だから、そんな人たちに囲まれている君は、心の中では愛なんてないんだ、人が人に対してかける言葉なんて嘘ばかりなんだと思っているわけだよね。
だからといって、そういう人たちを別に責めようという気もないわけなんだけどね。
自分だってほんの少し前までは愛があると思っていた、いや思いたかったわけだしね。
そんなこと知らなくて、生きて死んでいく人生だってもちろん存在することは頭では分かっているつもりなんだよね。
だけど、その人たちが、これは愛なんだと思って君に言葉をかけてくれた時、それに対して君はどういう言葉を返せばいいのか、それが目下の悩みというわけなんだね。
黙り込むわけにもいかなくて、君は何だかすっきりしない、あやふやな返事でもってその場をしのいでいるわけだけど、それも少ししんどいなと感じている訳なんだよね。
そうだなぁ、確かに人が言葉で伝える愛というものはないといえるかもしれないけれど、人は存在そのものが愛だと僕は思うんだよね。
だからね、わざわざ愛を伝えるために何かをしようとか、言葉を紡ごうとかする必要はないんじゃないかと思うんだよ。
いや、むしろ愛をつたえるんだと意識した瞬間、それは支配や束縛といった目的を持ったものへと変化してしまうんだよ。
愛は愛以外のものにはなり得ない。
そういった余計なことを考えないで生きて行う全てのことが愛に通じるんじゃないかと僕は思うんだよ。
それはつまりね、自分を愛することをするということなんだよ。
なにしろ自分を愛する分にはなんの嘘偽りもなくて、支配も呪縛も目的もない、純粋な愛であるわけだからね。
それが人を愛することになるのかと、君は質問の答えになっていないと僕に訴えているわけだけど、何かをしようとすると人というのはおかしくなるんだよ。
自然だ、と思えることをしていく、その先に全ての答えがあるように僕は思うんだよ。
いや、それを抜きにしては何も始まらないとすら思えるんだ。
そういうものをすっ飛ばして、人は目的の場所にたどり着きたいと思ってしまうわけだけどね。
レンガを一つ一つ積み上げてしかその場所には行けないんじゃないかと僕は思うんだよ。
だからね、人を愛するということの前に、まず自分をたくさん、たっぷり愛することをしてみて欲しいんだよ。
君はね、きっとそういうことが苦手でね、むしろ他人のことを愛する、ということを考える方が気が楽なんだよね。
だけど、もういいんじゃない?と僕は言いたいんだよ。
もう十分やってきたじゃないってね。
大嶋先生も同じようなことを言っていたし、君と同じような苦しみを抱いている人も、きっと自分を愛するということよりも、他人を愛するということを考える方が気楽なんだと思うよ。
なにしろ生まれてこの方、ずっとそうしてやってきたわけだからね。
そういう君の過去を失敗だったとか、そういう経験をしたから今があるとか、そういう判断みたいなものはする必要はないと思うんだよ。
でもね、今を生きる君に言いたいのは、やっぱり君自身を、まずは君自身を愛してね、ということなんだよ。
何かをしようとするとき、きっと君の頭の中には、まず誰を優先するべきかということが頭をよぎると思うんだよ。その時にね、それは簡単なようで君にはとても難しいことだと思うんだけどね、できるだけ君を、君の気持ち、君自身を優先して欲しいと思うんだよ。
それを聞いた君は、そんなこと現実的じゃないと、それじゃあ日常生活に支障が出ると思ったわけだよね。
だけどね、そうしなかったせいで、これまでずっと君自身にその支障がきていたんじゃないかなと僕は言いたいんだよ。
まあね、そうは言っても、何度も言うようにどんなことも無理にする必要はないんだよ。
君はこうして僕の非現実的とも思える話を聞いてくれるだけでいいんだよ。
そして、きっと、いつか、知らないうちにそんなことが普通になっている日がくるのを僕は楽しみに待っているんだよ。