あらためて、生きる意味と無意識さん
大嶋先生が勧めてくれた、非常に有名で長い間読み継がれている本を読んで、君はどう言ったらいいのか何かしら腑に落ちない様なものを感じてしまったんだね
多くの人に受け入れられているその本は、むろんその内容に多くの人が賛同したからで、その内容に疑問を持ったこと自体が君を困らせているわけなんだね
それは、つまり生きる意味について書かれていた部分についてなんだね
その本の中で、君の心に引っ掛かったのは、苦しみに意味がないのなら人として生きる意味がないのではないかという部分なんだね
さらには、苦しみの果てにある死にも意味がなければならないという様なことも書いてあったわけなんだね
つまりは、人が人として行うことや感じる全てのことに意味がないのなら、生きる意味などないと
そんな風なことが書いてあったわけなんだね
そして、そうなってくると、君は僕との会話の中で散々交わされてきた、全てのことに意味などない、というフレーズをどう扱ったらいいのかと思ってしまったんだね
だけど、さらに君が困惑したのは、もはや君の中では、君が完全に納得しているわけではないとしても、どうやら人にまつわる全てのことに意味などないと
いや、あるはずなどないんじゃないかと
もちろんその考えに歯向かいたくなる時もあるのに、なぜだかそんな風に思ってしまっていることに戸惑っているわけなんだね
それで、これはどう考えればいいんだと
そう思って、困り果てているんだね
君自身、今振り返ってみてもとても過酷な人生だったと
だからこそ、自分ではどうにもならなかったと
そこには常に無意識さんの助けがあったんだと
ただね、その本に書かれている収容所という場所はそれはそれは想像を絶する過酷さだと思うわけなんだね
だけど、君が感じているのはどれだけ過酷かということの比較をしたいわけじゃないということなんだね
むしろ比較など必要ないのだと
そうではなくて全ての人に分け隔てなく与えられているものがあるんじゃないかと
そう考える方が君は救われるんだと
そしてね、その本の中で書かれていたように、人が意識的に動いた時に、ちょっとした運命のいたずらで、その命が助かる場合と助からない場合があると
人が必死になって考えて、この道を行けばきっと助かるはずだと決断した結果、それこそが死につながる道だったと
そんなことが、幾度となく繰り返されたんだと
そんなことが書いてあったわけなんだね
だとしたら、もし苦しみや死に意味がなければならないのなら、そんな風に自分ではどうにもならない運命というものにも意味がなければならないのだろうかと
君は思って、そしてやっぱり分からないと
そんな風に思ってしまったんだね
さらには人は人生に問われているんだと
そしてその問いに応えることができた人だけが人生というものに責任を持つことができ、そして過酷な収容所生活を最後まで人間の尊厳を捨て去ることなく生き抜くことができたんだと
そんな風にも書かれていたんだね
それならば、人生というものに問われて、それでもそれに応えることができなかった人々というのは意味がなかったと
そういうことなのだろうかと
もしそういうことならば、君はとても悲しい気持ちになってしまうんだと
もちろん、この本の著者の言っていることを君が理解できていないかもしれないと
その可能性は十分にあるとも思うんだね
ただ、何度読み直してもその部分が訴えている意味というのは、人をその種類において区別しているように思えてしまうわけなんだね
そして、君が思う無意識さんの素晴らしさというのは全ての人に宿っているはずだと
そんな風に思えない時もあるけれど、それは君がまだそう思えないだけで、たぶん恐らくそうなんじゃないかと
いや、そうでない人は誰一人いないんじゃないかと
魂には常にその伴侶としての無意識さんが寄り添っているはずだと
そんな風に思うわけなんだね
そのほうがしっくりくるんだと
そして、もっとシンプルではだめなのかと
君自身、何事にも意味などないと、完全に思えていないのに、やっぱりどちらかと言えば、意味がなんじゃないかと
その方がシンプルで、今の自分には馴染みがあるんだと
快不快で言えば、意味がない方が快であると
どこかの角に足の小指をぶつけただけでも、天を恨みたくなる自分であるのに、全てに意味がないという僕の言葉がなぜだかしっくりきてしまうんだと
それはなぜ、と自分に問うてみても、やっぱりなぜかは分からないんだと
ただ、君は今そう思っているんだと
そう静かに感じることしかできないと
今はそれでいいと
そんな風に思うんだね