「感動について」無意識さんとの対話
「意識に優しくってことだね」
うん。このところ意識のことを敵みたいに扱ってたけど、あれも私の一部なのかなと思うと、少し扱いを変えてみたほうがいいのかなと
「これまでずっと意識の奴隷だったんだから、もとに戻る必要はないんじゃない?」
う~ん、なんでこんなこと思っちゃったんだろう
「感動について考えたからでしょ」
ああ、そうだね。感動しちゃいけないのかなって。無になるってそういうことなのかなって。意識が作り出してる感情を全て排除するとしたら、何かに感動するっていうのもやめないといけない。いや、ムリにはやめないけど、あなたと繋がるってことはそっちを目指すことになるのかなぁって思ったら、やっぱり感情っていうものが恋しくなってきてね。苦しみもあるけれど、感動もあるじゃない、感情ってさ。
「感動したいの?」
うん。だって、感動するために生きてるようなもんでしょ?苦しいばっかりじゃ嫌だもん
「苦しみの反対にあるものが感動ならそうだろうけどね、僕に言わせればやっぱり君を連れていきたいのはもっと穏やかなところかなぁ。」
穏やかって、凪とか無ってこと?
「そうだね。」
まだね、なんだかそれが感動よりもいいのかっていうのが分からないよ。
「そうなんだね。ただね、僕が言えるのは、感動っていうものはやっぱり意識が作り出したものでしかないっていうことなんだ。」
う~ん。だって、何でって聞かれたら答えられないけど、音楽だって映画だって、感動するものと感動しないものがあるってことはさ、そこにはなにかしらがあるのかと思うんだよね。美しいものは無意識に繋がるんじゃないの?
「そうだね、無意識のありようが君たちがいうところの「美」そのものとは言えるかもしれないね。だから、美しいものを通して無意識に繋がる、つまり美しいものは(君には残念なことかもしれないけど)通過点にすぎなくて、結局、僕が君をつれていきたい場所は無意識そのものなんだ。」
う~ん、じゃあ、私たちが美しいと感じて感動するのは、その先にある無意識に感動してるってことなの?
「感動というより、共鳴してると言った方が近いのかもしれないね。」
共鳴ねぇ。
「君の魂が無意識に繋がれることを喜んでいるんだよ。そこが君の場所なんだからね。」
ふぅ、果てしもない話だなぁ。その先に行けるのはいつのことやら
「また早く早くって言うの?」
言わないけど、早い方がいいのは変わらない
「ふふっ、」
共鳴ねぇ。じゃあ、共鳴はいっぱいしてもいいの?
「それは流れに任せてね」
あ~、またうまくはぐらかす!
「そういうわけじゃないよ。すべては決まっているんだからね。そして、僕はいつも君とともにいる。」
うん。まあ、とりあえず感動する自分に対してはとりあえずしてもいいよと言えるのかな。
「全部だよ。いつでも君は、君の全てはそのままでいいんだよ。」
いやだよ、苦しいんだから。
「そういう意味じゃなくて」
「わかってるけどね。あなたの言いたいことは。」
それは嬉しいな!