「親しい人との距離感」について無意識さんに聞いてみた
親しい人との距離感について聞きたいんだね
というのも、君の親しい人がとても困っていると
そんなことを君は最近になって知ることになったからなんだね
遠くにいるその人とはめったに会うことがかなわない
だけど、君はどうにかしてそに人の力になりたいと
そんな風に思ったわけなんだね
それでも、今のところ君はこれといって何もしていない
それは、ついこの間、大嶋先生が「溺れている友人の様子を眺めていたら、結局は自力で岸にたどり着いた」という様なお話があった、ということもあるわけなんだけどね
だけど、実は君が親しい人の窮状を知ったのはそれ以前のことで、大嶋先生のお話を聞くまでにも君は自分の中で葛藤していたというわけなんだね
それでも、君は、何となく、きっと自分が動く必要はないんだと
そんな風なことを感じていたわけなんだね
それは、もちろんその親しい人の無意識さんを信じている、ということに繋がるというわけなんだけどね
だけど、君はそうやって困っている人の傍観者でいるということについて、自然にできているわけではないと
むしろ、傍観することに必死になっているんだと
まだまだ無意識マスターには程遠い自分であると
そんな風に思っているわけなんだね
だから、君は僕に親しい人との距離感について尋ねたというわけなんだね
そして僕は答えたんだ
それは、眼球を通して物体を見るのと同じなんだと
それを聞いた君は、またしてもおかしな話だと
そんな風に思ったんだね
それでも君は僕の次の言葉を待ってくれた
それは、つまりピントを合わせる必要があるということなんだ
君は親しい人、つまり君が好んでいる人についてなのだから、距離はできるだけ近い方がいいのではないかと
そんな風につねづね思ってきたわけなんだね
大嶋先生の本やお話の中で度々出てきたから、君も身近な人との間にもソーシャルディスタンスというものが必要であるということは分かっているつもりではいるんだね
それでもやっぱり君が好んでいる人、会って楽しい人に限っては除外されるのではという思いが捨てきれないでいるんだね
特に、こうして外的な理由で様々な人に会う機会が減っている今だから、そういったことを考えてしまうのかなと君は思ったりしたんだね
そこで僕の伝えた言葉
人との距離は、眼球を通して物体を見る際にピントを合わせるという行動と同じなんだと
そして、そのピントが合う場所は人それぞれに違いがあるんだと
それは、その人の良さが一番よく見える場所なのだと
だから、君が好んでいる人と君との距離は、それはそれは的確にあつらえられたものなんだと
僕は君にそう伝えたんだね
そして、さらには、こうも言ったんだ
例えば家族や職場の様な、いやが応でも近くにいなければならない場合、まさにソーシャルディスタンスという概念がないならば、とても苦痛を感じるかもしれないと
つまりは、無防備に見てしまえば、ピントが合わないせいで、それはそれは怖ろしいものを見ることになるかもしれないんだと
そんな姿を目の当たりにすれば、誰だって嫌な気持ちになってしまうかもしれないね
だから、生まれた時から一緒にいるあの人も、ある時から一緒に暮らすことになったあの人も、ずっと前から一緒に働いているあの人とも、もし君が不快だなと思うことが多いのなら、それはきっとピントが合っていないせいなんだと
つまりは、良いところがよく見える距離にいないということなんだね
遠くにいる君が好んでいる人とは、それはとてもピントが合っているということなんだけど、近くにいるピントが合っていない人とは、すぐにその距離を変えられないと
君はそう思って困ってしまったわけなんだけどね
ただね、いつも僕が言うように、ただ気づくだけでいいんだと
そして、あとは無意識さんに任せればいいんだと
それで十分なんだよと