「存在」について無意識さんに聞いてみた・その3
存在についての話を聞いて、君は、混乱しながらも、もしかしたらそうなのかもしれないなぁ、なんて思ったり、いやいや、やっぱりまだよく分からないとなっているわけだけどね、そうなってくると、じっさいに普段の暮らしに目を向けた時、さて、どうすればいい、と頭の中がハテナでいっぱいになってしまったわけだよね。
ただ存在していればいい。
だったら、人と人は何を交わしあうんだろうと。
宇宙という大きなところから、普段の生活という局所へと視点をずらした時、もう身動きが取れないような感覚になっているんだね。
だからね、今度はね、動物という比較的身近な存在を引き合いに出して話をしたいんだけどね。
例えばね、今だとノーベル賞の受賞者が発表されたよね。
それでね、動物、例えば近所の人が飼っている犬にね、今年は日本人の○○さんがノーベル賞を受賞したんだよ!なんて話をしたとしてね、さて犬はそのことをね、ほお!それはすごいですね!!と言うだろうかという質問をね君にしたいと思うんだよ。
まあね、君はね、またかという顔でね僕のことを見るわけだけどね、犬にとってね、受賞なんてことはね、まったくもって意味のないことなんだよね。
何を当たり前のことを、と君は話の意図を計りかねているわけだけどね、案外ね、こういった当たり前だと思っているところにもね、小さなトラップが仕掛けてあってね、それはもう巧妙にね、人の価値というものを誕生させるための様々な細工が施してあるわけなんだよ。
つまりね、犬の気持ちになってみればいいってことなんだよ。
動物たちにとって、彼らが生きる時に必要なものは何だろうってね。
まあ、最低限の食住だよね。
だからね、それ以外のものはね、生きるということを最重要として考えた場合、必要はないわけなんだよね。
そんなの分かってるって、動物なんだから、人じゃないんだからって、君はあきれた表情で僕に訴えるわけだけどね。
だけどね、君の求めているものはね、こうやって、ことごとく色んなものをそぎ落としていってね、残ったものの中にあると思うんだよ。
だからね、僕は別に、君に動物と同じように、ペットであれば与えられた餌を食べて、野良ならば、自分で狩りをして好きな時に食べたり寝たりして、好き勝手にくらせばいいと言っている訳じゃないんだよ。
ただね、そこまでさかのぼってみるという作業をねしっかりやってみるとね、あれ?と思うことがきっとあるんじゃないかと思うんだよ。
やっぱりね、人がここまで増えてね、それが集団行動をしようとする場合ね、一人一人に対してね、そうとは決して気づかないようにね、とてもとても慎重に、そしてそれが人の深部にまでいきわたるようにね、長い時間をかけてね、人とは家族とは社会とは国とは世界とはこうあるべきという、支配者にとってとても都合のいいように動く暗示がかけられてるわけなんだよ。
だからね、どうしてもね、人はね動物に立ち返ってね、そこからの景色をしっかりと見つめる必要があると僕は思うんだよ。
なんだか危ないな、と君は思ったわけだけどね、確かにね、こういったことに多くの人々が目覚めてね、支配者に面と向かって抗議なんかしようもんなら、その結果は火を見るよりも明らかなわけだけどね。
僕は別にそういうことをしようと言っている訳でもないんだよ。
君はね、こうして僕とお話をしているだけ、それだけでいいんだよ。
もうね、はっきりと言ってしまえばね、君が頭で考えて、何かをしよう!とか思う必要はないんだよね。
そんなぁ、私の人生なのに、と君は夢も希望もないという顔で僕のことを見るわけだけどね、それでいいんだよ、と僕は言いたいんだ。
それがね無意識にゆだねるという生き方なわけでね、動物の中の人というものに生まれた君がね、もっとも生きやすい姿に近づける道だと思うんだよ。
おわり