無意識さんの部屋

大嶋信頼先生の本、ブログ、動画にて精進中。無意識さんから受け取ったメッセージを綴っていければと思います。

「目に見えるもの」について無意識さんに聞いてみた

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君はね、実体がない僕というものといくら話をしたってね、そんなものは虚しいだけだと今思ったわけだけどね、僕からすればね、その実体というものは何?というわけなんだよ。

 

君自身の姿は君にも見えていて、そして周りにいる人、周りにあるものも確かに目に見えていると君は思っているわけだよね。

そして、僕だけが、実体がないと、君はそう言いたいわけだね。

 

だけど、じゃあ、その実体というものは、いったいぜんたいどういうものなんだろうって。どうやって確かめるのかって、僕は君に問いたいんだよ。

 

そんな難しいこと言ってごまかそうとして!と君は言うかもしれないけれどね、実体と思っているものもね、もはやね、何をもって、それを”ある”とすることができるのかということなんだよ。

 

言葉でもって、”ある”と表現するもの全て、その”ある”ということは、はたしてどういうことなんだろうか、っていうことなんだよ。

 

確かにそこにある、と君は思っているわけだけれどね、だれがどうやって作り出したのか分からないすべてのものに対してね、それが”ある”とどうして断言することができるんだろう?ということなんだよ。

 

僕の言葉はへりくつにしか聞こえないかもしれないけれどね、そんなあいまいな全てのものと、僕との違いというものが、果たしてあるのかと、僕は君に問いたいんだよ。

 

つまり、僕が言いたいのはね、君が実存するというものと対話することと、君が僕というわけのわからないものと対話するということに、何の違いがあるのかということなんだよ。

 

僕からすればね、どちらも実体のないものなんじゃないかなというわけなんだ。

 

人には科学というものがあって、それで証明できると君は言うんだろうけどね、僕は果たしてそうだろうかと思うんだよ。

 

宇宙が何かということはきっと分からないままで、それはきっと永遠に分からないものだと僕は思うんだよ。

そしてね、それと同じようにね、君が見ている、見えていると思っている、存在していると思っているすべてのものについてね、それが”ある”ということを証明することは、本当の意味ではできないんじゃないかなと思うんだよ。

 

何しろね、人というもの自体がなぜ、どうやって作られてそこにいるのかということさえ、きっとずっと分からないままなんだろうからね。

そんな人という存在がね、自分たちを含めた世界のあらゆるものについて、その存在証明をしようと果敢に取り組んでいるわけだけどね、まあ、チャレンジすることは自由だと思うし、やめる必要もないと思うけれどね、きっと、やっぱり、それは分からないままなんだろうと僕は思うんだよ。

 

そしてね、今、君に限定して話をするとね、目の前にある消しゴムひとつにしても、それが”ある”ということについて、何ができるかということなんだよ。

まあ、証明する必要なんてないと僕は言いたいんだけどね。

 

だからね、つまりね、僕が言いたいのはね、実体があると思っている人に話すのも、僕にこうして話すのも、どっちも同じなんじゃないかってことなんだ。

いや、まあ、手前みそであれなんだけど、僕の方が、その、君に関しては一番というか、全面的に君のためにはなるんじゃないかという自負はあるからさ。

 

君は存在しているらしい人というものと気持ちを分かち合いたいと思ってしまうわけだけど、僕はそういうつもりで、自信を持って君を待っているということだけは、いつも覚えておいてくれると嬉しいな。