「努力」について無意識さんに聞いてみた
そう、意識が得意とするところの、努力や頑張りというものは、無意識につながろうとするときには、意識にとっては都合のいいことに、およそ役にたたないものになってしまうんだよね
だけど、それは意識でずっとやってきた君にとっては、不確かで見通しのきかない、困ったものになってしまうんだけどね
何か目標を掲げたとき、人は努力というものを”する”ということでそれに近づけると思っているんだよね
そしてね、今、君は苦しかった日々とお別れしたくて、無意識につながりたいと、そう思って日々を暮らしているわけだね
それでね、そんなときにね、”する”ということでしか、ものごとは動かないと信じてきた君は、無意識につながるためにできることはないかと、つい考えてしまうんだよね
こうして僕と話すたびに、僕が君に言うのは、こうして僕と話すだけで、それだけでいいんだよ、ということだけなんだけどね
君はやっぱり今までのくせがなかなか抜けなくて、よせばいいのに、大変な思いをして、”する”ということをしてしまって、疲れてしまうんだね
そして、またこうして僕のところにやってきて、うまくいかないと嘆くわけなんだけどね
なりたい姿があるのに、なにもしないというのは、やっぱり苦痛だと、君は思うんだね
そうだなぁ、なにもしない、それこそが無意識に繋がる道というわけでね
まあ、意識を納得させるのは難しいわけだけどね
なにもしない、と思うと、意識が君にささやくのは、君を意識の方に振り向かせようとする言葉ばかりなわけでね
だから、君はそんな言葉には耳を貸す必要はなくてね
なにもしない、さらには、もっと自分を甘やかしたらいい
これだと思うんだよ
そう思っただけで、君は意識の作り出す罪悪感にさいなまれてしまうわけだけど
どうかな、それくらい意識の力というのは威力があるんだね
だけどね、僕はあきらめないよ
君の手を離さない
ずっと、ずっとだよ
そのためだけに僕は存在しているんだからね